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競技プログラミングやお歌のお話をする高菜です。

黄色コーダーになるために必要だったことを、† 本物の黄色コーダー † になれた今、再び振り返るをします。

問題

黄コーダーになるために必要だったものな〜んだ?

  1. 奇行だー(いいえ)

発端

Peing というサービスがあります。 そこでご質問をいただきました。

私は以前、黄色タッチをしたときにに、いわゆる「色変記事」を書いたのですが、† 本物の黄色コーダー † になっ今だからこそ書けることもたくさんありますから、改めてお話をしたい気持ちです。

レーティングの推移です。

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黄色コーダーになったのはいつですか?

この問いをなぞることを通して、もとの問いへの解答を埋めていきたいです。

解答 1

  • 7 月 14 日、AGC 035 で +91 をして、黄色コーダーになりました。

これが達成できたのは、完全に運です。当時の実力はおそらく 2000 弱程度です。 AGC 特有の上ブレを引いて、黄色になりました。

当時の精進といえば、考察が中心です。それも 1000 点以上の高難易度です。 たしかに長く考えて分かることもあるのですが、今思うとかなり効率の悪い方法でした。

ムーブもひどくて、毎回 3 問先くらいまで読んで、解けたものから通していました。 結果的に、どれも間に合わなくて緑や茶を出してしまうことも多かったです。 これではとても黄色コーダーなど名乗れません。

解答 2

  • 11 月 9 日、第二回プログラミング王決定戦で +162 をして、第二黄色速度を突破しました。(上ブレでしか上がれない人ですか!?)

レーティング的には、100 程度しか上昇していないのですが、 このあたりを堺に一気に黄色になった自覚があります。

精進のお話です。 思えば 1900 まではすんなり来られてしまったこともあり、味を占めていました。 それに自覚した私は 10 月ごろから、才能だけで競技プログラミングをするのを諦め、 基本の素振りからしっかり練習をして、熱烈精進で勝ちに行く決意を固めました。

10 月から 1 月はひたすらバチャです。ARC 103 本ノックをしました。 このとき、「前から解く」を徹底することにしました。 これはてんぷらさんの影響です。

結果的には、コンテスト中の成績に直接寄与したと言うよりは、 わからない簡単な問題から逃げないことで、思考の癖などが明るみになり、 かなり安定感が増した自覚があります。

1 月からは、ゆきこ埋めです。 ☆ 1 からはじめて、いま ☆ 2 の初めの方です。 これを始めたのは maspy さんの影響です。

いわゆる「埋め」をしたことがなく、バチャ至上主義だったのですが、 やってみるととっても面白く、また役に立ちます。 特に yukicoder は AtCoder ほどよいセットは少ないですが、 逆に単体で面白く、知見が溜まりやすく、典型実装をバグらせない力のつく問題が多いことに気づきました。

結局何が必要だったのか

一般的なお話ですと、必要なことは特になく、自分に出来ることの総和が黄色に達していればよいです。

私のお話でしたら、競技プログラミングのある種の本質が実装であることに気づくことがジャンプアップの鍵でした。もちろん上の方になってくると変わってくるのかもしれませんが、私くらいのレベルですと、まだまだ簡単な問題をサラッとと解ける能力の方が大事です。といいますか、まだ黄色であるという時点で、そのレベルさえ頻繁に取りこぼしているということです。

今後もしばらくはこの方針で精進をしようと考えています。

ご質問、ありがとうございました。